情報産業新聞2000号記念業界団体首脳対談全編公開(1/4)

 今回、日本情報産業新聞が創刊2千号を迎えたことを記念して、IT業界を代表する団体である情報処理推進機構(IPA)の西垣浩司理事長、情報サービス産業協会(JISA)の浜口友一会長、コンピュータソフトウェア協会(CSAJ)の和田成史会長にお集まりいただいた。お三方には、IT業界の歴史を振り返っていただくとともに、これからの業界が取り組むべき課題や各団体が持つ構想について、それぞれの立場から語っていただいた。紙面の都合上お届けできなかった部分を追加した完全版を公開する。

2009 4/24公開

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左からJISA浜口会長、IPA西垣会長、CSAJ和田会長
浜口、西垣、和田会長

  ――さっそくですが、現在はSOA(サービス指向アークテクチャー)やSaaS(ソフトウェア・アズ・ア・サービス)、クラウドコンピューティングなど、新たなアーキテクチャーやサービス形態が注目を集め、イノベーションの時代に突入したといわれています。そこで過去を振り返っていただいて、皆様がこれまで経験したIT業界におけるイノベーションとは何だったのかを、おひとりずつ話していただけますか。

それぞれのIT業界におけるイノベーションとは?

 西垣 私が社会に出たのが、ちょうど商用コンピューターの始まりの時期である1961年で、それ以来40数年に渡りコンピューターに係わってきました。振り返ると、まず革命という意味では、コンピューターを“動かす”というところから始まっています。当時は、回路が難しくなかなかコンピューターが動かなかった。真空管を使っており、ある一定の時間動かすと止まってしまい、コンピューターを何時間も連続して動かすということが大変な時代でした。それが、ソリッドステート、トランジスタ、ダイオードになり信頼性がだいぶ増し、昭和40年代初めに産業政策もあって米国メーカーと協業体制を組むようになりました。当時ハードはむしろ日本の方が優れていました。ところが、なぜ提携しなければならなかったかといえば、まさにOSだったのです。日本ではアッセンブラでガチガチとやっていたのに対し、米国ではすでにCOBOLやFORTLANといった高級言語が出てきていたということで、ソフトを中心に手を結ばざるを得なかった。ソフトが重要なファクターになってきたということが、ひとつのイノベーションだったといえるでしょう。
 そして、次のイノベーションは、LSIの周密度がものすごく上がって、今度はハードが高性能になったことです。つまり、PCで相当なことができる時代になった。これも非常に大きな革命でした。それと期を一にして登場した、インターネットですね。かつてはバンキングを中心に、オンラインシステムを作るということは大変な作業でした。ところが、インターネットが出てきたときに驚いたのが、オンラインを止めないで構成変更ができてしまい、端末をどんどん付け替えることができる仕組みを実現できたことでした。これは本当に大きな革命だったと思います。ところが、この当時通信系のエンジニアは、あまりこれを革命的と捉えていませんでした。というのも、彼らからすれば「インターネットは通信ではない、セッションがキープされて、ちゃんとつながることが保障されて始めて通信といえる」という考え方があったのです。そのため、インターネットへの取り組みが少し遅れてしまったといえます。そして現在迎えているSaaS、クラウドコンピューティングの革命が4番目のイノベーションということになるのでしょうか。

 ――浜口会長は、いかがでしょうか。

 浜口 私がコンピューターをいじり始めたのが、コンピューターにトランジスタを使っていた1968年です。私の記憶に一番残っているのは、やはりオンラインですね。自分でプログラムを書いていた際、メインフレームがあって端末があって、コマンドを叩き込んだら答えが返ってくる。今となっては当たり前のことですが、このことに大変感激した記憶があります。また、西垣さんのいらしたNECとの仕事で憶えているのですが、当時の府中工場に泊まりこんでいて、ここでひと通りの機能が正確に動くかどうかを確かめる「穴通し」という作業を行っていました。ここでは、なんと夜中の3時頃に動いたのを確認して感動したものでした。ですから、最初に感じたイノベーションは、やはりオンラインということになります。
コンピューターができてオンライン化されて、その次に来たのがPCですね。使い方としてはまだまだワープロの域を出ていなかったと思いますが。そして、何といっても次はインターネットです。特にウインドウズ95が出て普及しましたね。特にメールはびっくりしました。国際電話のように、米国などの外国と簡単にやりとりができてしまうのですから。あれは本当に感激しました。ただ、そのような変遷を経てきていますが、ソフトウェアを作るメソトロジーやエンジンアリングの手法というものが意外と変わっていない。言語など変わってきているのは確かなのですが、なかなか理論的にコードを作るまでは達しておらず、人の手を介す状況は変わっていません。もしこれを解決できれば、それこそが次なる大革命ではないでしょうか。

 ――次に、和田会長お願いいたします。

 和田 私は、会計士を志しておりまして、大学を出てから監査法人に入っていたのですが、ここで入社してすぐに出会ったのがPCでした。メインフレームというのは言葉に聞いたことがあるだけで、私の場合コンピューターと係わった初めがPCでした。当時はオフコンの時代で、会計のシステムを作るのには1千万円以上の投資が必要といわれていました。その時に、会計ソフトを自分で作ってみたいなと思っており、そのタイミングで出てきたのがPCでした。将来このPCというのは、汎用機として大きく成長するなと感じ、これに賭けてみようとソフト開発を始めました。具体的には、NECの98シリーズが登場したときに会社に試作機が来まして、そこで試作機に触った瞬間に「このスペックは世界を変える」と感じました。100人くらいの会社であれば、給与会計はパッケージソフトで十分いけるのではないか、と思わせてくれたのがPC98でした。その後ウインドウズが出てきて、OSプラットフォームが標準化されることにより業界がさらに成長すると続いていくわけですが、この試作機に触った瞬間こそが最初にイノベーションを感じた時だったといえます。
  集中と分散の歴史の中で、私はちょうど分散の時代にこの世界に入ったのでした。それが今から30年前となります。その時に感じたのが、この世界に特化してこれだけをやっていこうということで、選択と集中で会計の分野に特化していくことが、われわれの責任であり役割であろうと信じて続けてきました。そして、やはり次にであったのがインターネットでした。これがひとつの大きなイノベーションをもたらしましたが、これから更にクラウドがあり、B-BやB-C、情報家電や自動車など幅広い分野にITとネットワークがインフラとして係わっていくことになり、活躍の場が広がっていくことを考えていくと、今まで以上の大きな変革がこれから始まろうとしている、まさに次のイノベーションを控えた改革前夜といえる時期だと考えます。

 

(情報産業新聞2000号記念業界団体首脳対談2/4へ続く)

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