情報産業新聞2000号記念業界団体首脳対談全編公開(2/4)

 今回、日本情報産業新聞が創刊2千号を迎えたことを記念して、IT業界を代表する団体である情報処理推進機構(IPA)の西垣浩司理事長、情報サービス産業協会(JISA)の浜口友一会長、コンピュータソフトウェア協会(CSAJ)の和田成史会長にお集まりいただいた。お三方には、IT業界の歴史を振り返っていただくとともに、これからの業界が取り組むべき課題や各団体が持つ構想について、それぞれの立場から語っていただいた。紙面の都合上お届けできなかった部分を追加した完全版を公開する。

2009 4/24公開

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メインプレーヤーがめまぐるしく変わる米国と変わらない日本

 ――イノベーションといえば、米国では過去数回にわたるイノベーションによりハードメーカーからソフトメーカーへ、そしてインターネット企業やSaaSベンダーへとメインとなるプレーヤーがめまぐるしく変わってきましたが、日本ではNECやNTTデータの歴史が示すとおり、永らく同じプレーヤーが活躍を続けてきました。この日米の違いはどこにあると思いますか。


IPA西垣会長
IPA西垣浩司会長

 西垣 確かに、日本と米国は同じ資本主義といわれる中で経済活動をしています。しかし、根っこにあるものは、両国ではまったく別のものなのです。人の考え方や理想とする企業はまったく異なっています。にもかかわらず、「グローバリゼーション」という考え方から、その辺りを合わせなければならなかった。そうしないと話が合わない、経済が成り立たないという時代に突入していました。それがある意味、今回の世界金融不況のような悲劇を生んだとも考えられるでしょう。ただ、今回の件でだいぶ反省していると思います。今までの方式ではだめだったのだ、資本主義というのは、もっと別なコンセプトなりルールなりがあって、その中で自由に競争していくものだという方向に変わってきているのではないでしょうか。今までの米国は、企業の売り買いは当たり前で、倒産してもすぐに次のプレーヤーが生れてくるという、日本とは異なる社会でした。日本の場合、大きな企業はつぶしてはいけないという意識が根本にあるので、新しい事業形態が生れれば、それをどんどん取り込んでいくことで対応し、発展を遂げてきました。これは、情報産業だけでなく、日本の企業というものがそのような考え方を持っているのではないかと私は考えます。

 浜口 ITという面で考えた場合、米国は多民族国家であり、世界中の至るところから優秀な頭脳が集まる吸引力を持った国だと思います。例えば、最近なら中国やインドから人材が集まるなど、米国そのものが世界の縮図のようなものだと思います。それが強みのひとつなのでしょう。それと、宇宙と軍事の予算の大きさというものが牽引していると思います。これらによってインターネットやセキュリティ関連など様々な技術開発に成功しており、そこから民需が発生してきています。

 西垣 浜口さんが今おっしゃられた「多民族国家」というのは、重要なファクターだと思いますね。私は学生時代、アメリカンフットボールをやっていたのですが、これこそ多民族国家のスポーツだと感じました。つまり、多民族国家でもできるスポーツなのです。アメリカンフットボールは、プレーごとにすべてアサインメントが決まっており、決まったフォーメーション通りに動けばタッチダウンできる仕組みになっています。このように、役割を決めて、皆がその役割を全うして成功させることにアメリカ人はものすごく快感を覚えるのです。というのも多民族国家である米国では、逆にそこまでブレイクダウンしておかないとシステムが動かない。一方、例えば個人のアイデアあふれるプレーが珍重されるサッカーのようなスポーツには向いていない。ところが、日本の社会では、ラグビーやサッカーのように、選手ひとりひとりがボールを見て良いことになっています。会社に置き換えると、社員ひとりひとりが経営を見ているわけです。だから、その時の経営状況を見て自分の動きを判断する。これは、単一民族で価値観がそろっているからこそできるものだと思います。ですから、従来からシステマティックな展開に慣れている米国はコンピューター化するのには、非常に向いていたといえます。

 浜口 私は20年前ほど、米国の大手航空会社のシステムを見学する機会がありました。IBMのメインフレームを200台にスーパーコンピューターが20台という壮大な規模のシステムだったのですが、そこで作っている作業システムというのが、やるべきことをやったらチェックを入れていくというような、実に単純なものだったのです。そこで、「しっかりとしたマニュアルを作って作業員に渡したらいいじゃないか」と先方の担当者に問うたところ、「言語や識字率の問題で、マニュアルを読めない人がいる」というのです。今の日本では考えられないことですが、そもそもそれだけの環境の違いがあることを念頭に置く必要があります。それを考えずに、いきなり米国流を取り入れることは危険なことだと思います。

外国人を受け入れるには米国の方式が参考になる

 西垣 私は、米国という国は好きな国です。ものすごく明るくて、多民族を受け入れて分かり合ってやっていく。ひとつの大きな人類の実験の場ではないかとも思うほどです。現在、人手不足が深刻な日本の介護の現場では、インドネシアの人たちを受け入れようとしています。このインドネシアの人たちは、米国と同じような経験をすることになるのです。漢字や平仮名、片仮名がある日本語を3年以内に憶えて、更に試験に受かるというのは、気が遠くなるような難しいことです。これを受け入れるためには、日本語がわからなくても出来る米国のような仕組み作りが必要になってきます。日本の社会の抱える課題は、この外国人を受け入れていくスピード感をいかに調整していくかだと思います。これは、外国語技術者を受け入れようと動いていたIT業界にも共通する課題だと思います。

 ――結局、そのようにして同じIT業界でも異なった環境で成長してきた結果、まったく別の世界になってしまっているわけですね。

 和田 自動車産業がこれに近いと思います。車は米国で生れ、やがて世界を席捲しました。それが成熟して顧客志向になっていくと日本が台頭しました。複合機も、今欧州で受け入れられています。つまり、製品が成熟してくると、日本の強みがどんどん出てくるのだと思います。顧客志向と満足度向上のためになると日本人は必死になって作ります。だから品質も良くなります。例えばソフトの世界では、不具合の率というものが日本は世界的に見て圧倒的に少ないという事実もあります。
  浜口 一方、産学でベンチャーを立ち上げるという文化は、米国の強みのひとつでしょうね。米国の理工系の学生は、自分で事業を起こすことが目標というベンチャー志向の人が多い。しかし日本ではまだまだ大企業に入ることを希望している学生が多いのが現状です。その段階からの考え方の違いというものが日米の差異に現れているのではないかと思います。

 ――和田会長は、そのベンチャー企業として出発されたわけですが。

 和田 当初、ほんの3-4人で始めましたので、大手企業と戦っては勝ち目がないのはわかっていました。自分のできる範囲のことをやっていこう、戦うよりもいかにしてお互い補完しあってwin-winの関係を結べるか、ということを考えてきました。われわれは大手企業ができない、パッケージという分野に特化し、大手企業の持つ伝統的な技術と連携することで成功することができました。そして、現在までの30年間で何を行ってきたかというと、企業の伝統や理念を作り広げていくことに注力し、そこで形作られた文化が成長を押し上げてきました。米国の場合、イノベーションを起こして、一瞬にして大企業が登場することがある社会です。米国は「今」の最高であることを目指すのでスターが頻繁に変わるのに対し、日本の企業は「将来」を見据えており、伝統を大事にします。その考え方こそが、日本の強みである「ものつくり」につながっていると思います。

 

(情報産業新聞2000号記念業界団体首脳対談3/4に続く)

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